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父帰る
父は此の舞鶴港に帰ってきた
1950年の初夏のころ、厳しいシベリヤの奥地から
この6月に父の13回忌を迎えるに当たり、父の戦後が、ここから始まった此の地を訪れた


当時の桟橋風景
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                  父 帰 る
                               
小学校に入学したばかりの頃、胸に「一ねん一くみ ○○○ ○○○」と書いた布きれ名札を
縫い付けた洋服を着て、学校に出かけようとすると、火鉢の傍で煙管にキザミ煙草を詰めながら
「お前は学校に行かんでよか、今日は爺ちゃんと出かけるけん、そのまま待っとれ」と、
声がかかった。同じ歳の従姉妹は、そのまま学校へ出かけていった。

小一時間ほど待っていると、羽織袴姿の祖父が祖母に「□□駅まで行ってくるぞ」と言い、
私一人が連れられて家を出た。駅まで一キロ以上はあるだろう。
祖父と出かけるときは、同い年の従姉妹と一緒が多かった。
今日は何事かと、キョトンとしながら口数の少ない祖父の後を、
田植の準備作業をする近所の人に軽く会釈をしながら歩く祖父の後を、とぼとぼとついて行った。

木造平屋つくりの駅の待合室には、木製の長椅子が幾つか置かれていた。
その頃の筑肥線は、午前中に数本しか通っていなかったが、それでもお客は誰も居なかった。

しばらくすると蒸気機関車が左(博多)の方からやってきた。

祖父は、長椅子から立ち上がり、頑丈な木で作られた扉の改札口の前に、私を連れて行った。
この列車に乗るのかな? と思ったが、そうではなかった。

降りてくる客の切符を受け取る駅員を見ていると、プラットホームからゆっくりと
近づく一人の大人の男が目に入った。

私の後ろに立っている祖父が、私の背中を二、三度つついた。が、
どうしたのかな? 何でかな? と変に思って立っていた。

その人が改札口を出てきて初めて、祖父は私に「お父さんだよ」と言ってくれた。

カーキ色の衣服にゲートルを巻いた、背が高くて痩せたその人は、
背中のリュックを降ろして、祖父に直立し、「ただいま帰りました」と、ふかぶかと頭を下げた。

その人は、私に一言、二言いったようだが、何を言われたか覚えていない。
互いに初めてみる顔と顔、なんとなく二人は、ぎこちない。
私には理解できてない状態が、しばらく続いていた。

ポツリポツリと話しながら歩く二人の後を、私は少し離れて静かに軽やかに、
お昼前ののどかな田舎道を帰っていった。(亡くなった母のことなど話しているのかな?)

私にも、お父さんが居た。

初めて知った昭和二十五年の初夏の陽は、先を行く二人を暖かく照らしていた。
もちろん私にも……。
by mi7t | 2016-05-14 21:33 | エッセイ/想い TOPに戻る


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